来談者中心療法の非指示的カウンセリング(カール・ロジャーズ)


非指示的カウンセリングは助言、激励、説得等の指示なく、クライエントの訴えをどう理解したかという応答を基本にしたカール・ロジャーズ来談者中心療法でのアプローチ。

この応答がクライエントの変化・成長を促進するものです。

非指示的ということの中には、かなり積極的に、そして深い集中力を要する要素がいろいろあります。

非指示的とは指示的なことはしないということで、しっかりと非指示的であることが求められます。

では、非指示的なカウンセリングとはどうすることなのか?

具体的な事例も交えて、以下にわかりやすく明確にお伝えします。 

【筆者プロフィール】
心理カウンセラーとして6000件以上(2020年4月現在)のカウンセリングを実施。
5年間にわたりスクールカウンセラーとして教育現場の問題解決にあたり、現在も個別に教育相談を受ける。
大手一部上場企業を始めとした社員研修の講師として10年以上登壇し、臨床カウンセラー養成塾を10年以上運営。コーチとしても様々な目標達成に携わる。
著書「感情は5秒で整えられる(プレジデント社)」は台湾でも出版された。
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非指示的アプローチは誤解されている?

非指示的アプローチって聞いたことありますか?

カウンセリングのテキストによく出てくると思います。

非指示的というのは文字通り「支持しない」ってことです。

指示というのは「こうしましょう、ああしましょう、こうしたらどうですか?」といったこと。

こうした働きかけをしない関わり方のことを「非指示的」というわけです。

しかし、対人援助の場面でこの「非指示的」を本当の意味で実践できている人が、果たしてどれほどいるのか?

正直、ほとんどいないといっていいと思います。

非指示的というと、とにかく助言や説得などをしないこと。

そう思ってしまったり、そう教えられたりすることがあります。

しかし、実際はそんな単純な話にはなりません。

それは、実際にカウンセリングを経験すればわかります。

この場合の「経験する」は、提供することと受けることの両方を指しています。

もっと乱暴な話になると、何もしないで聴いていればいいという人もいます。

何も目立った態度を見せず、ただフンフンと聞いていればいい。

そうすればクライエントはいろいろしゃべってくれる。

これが非指示的アプローチだというのです。

確かにこちらが黙って聞いていれば、クライエントはいろいろしゃべってくれます。

なぜなら、いろいろ話したいことがあるからです(笑)

でも、相手が話したいことを終始話させておけばいいというのも、乱暴な話です。

非指示的カウンセリングとは、しっかりと非指示的でいくということ

カウンセリングの基本はクライエントが話したいことを話したいように、話したいだけ話してもらうところにあります。

しかし、それはあくまでも「基本は」という話。

そのように話してもらったことに対して、カウンセラーは何らかの働きかけをします。

この働きかけを非指示的にすることで得られる効果がいろいろある。

ロジャーズはそういう風に指摘しているわけです。

つまり、非指示的に働きかけよといっているわけで、決して何もするなとも、働きかけずにただ聞けともいっていない。

非指示的という働きかけをしっかりと行おう。

非指示的な態度を保って成すべきことをなそう。

ロジャーズはちゃんとそう言っていたのです。

では、非指示的な働きかけとは、どんな働きかけでしょうか?

非指示的に働きかけるとは、カウンセラーがクライエントに何をすることなのでしょうか?

非指示的アプローチは応答が重要

答えはこうです。

先ず、クライエントはなぜ、カウンセリングで話をするのか?

それは、話したいことがあるから話をするわけです。

別な言い方でいうと、カウンセラーに伝えたいことがあるから、話をします。

ということは、それを聞いているカウンセラーは、自分が聞いた話をどう受け取ったか、自分にどう伝わってきたか?

そのことを話し手であるクライエントにしっかりと示す必要があります。

なぜなら、それが意思の疎通というものであり、コミュニケーションだからです。

では、どのような手段で示すのか?

それをカウンセリングでは「応答」といいます。

クライエントの投げかけに対し、カウンセラーは応答という投げ返しで応えます。

そしてその応答はこうなります。

「私はあなたの言ったことをこう受け取りましたよ」

「私はあなたの伝えようとしたことをこう理解しました」

「私の受け取り方、理解の仕方は、これで合っているでしょうか?」

応答の役割というのは、先ずはこうなるはずなんです。

もちろん応答の内容はこれ以外にも多岐にわたります。

しかし、対話が始まってしばらくは、こうした受け答えが中心になるはずです。

つまり、これが非指示的なアプローチであり、態度です。

非指示的カウンセリングでの応答は、オウム返し(言葉の繰り返し)ではない

こうした対応をするということは、これはもうかなり積極的な動きです。

能動的な注意や集中も必要で、明確な反応(応答)も必要です。

ところが、この受け答えにまるでならない・・・というところからカウンセリングや傾聴学習の混乱が始まりました。

聞き手であるカウンセラーが、この投げ返しがどうにもできない。

そこでお茶を濁すようにオウム返しに逃げたり、質問でかわしたり・・・・・

先ずは、相手が何を言おうとしているのか?

何を伝えたくて、それでどんな話を、どんな話し方をしているのか?

話している時の思い、経験したときの気持ちはどういうものだったのか?

クライエントは必ずそれらを言葉にしてくれているはずです。

その言葉にこそ耳を傾けるのが傾聴。

だから「傾聴は相手の話を正確に聞くこと、聞けること」と塾ではお伝えしています。

カウンセラーの非指示的態度とは

この非指示的な態度というのも誤解されやすいものです。

もちろん、何もしないでただ漫然と話を聞いている態度のことではありません。

何もしないのではなく「非指示的な」です。

非指示的な態度でいるということです。

では、非指示的な態度とは、どんな態度を指すのでしょうか? 

非指示的な態度というのはカウンセラーが主体的に動かないと言う態度と言えます。

主体的に動くのはあくまではクライエントであるという姿勢だとも言えます。

カウンセリングにおいて重要なことはクライエントが人間的な成長を起こすことです、

なぜなら、多くの問題はそこに心理的な問題を含んでおり、その心理的な問題を解決するためにはクライエント自身の人間的な成長が必要不可欠となるからです。

また様々な問題解決においても、解決行動を適切に取れる人間になるということも必要になります。

こうした意味でもクライエントが人間的な成長を起こすからこそ問題が解決されるとも言えるわけです。

従ってカウンセリングにおいてはクライエントの人間的な成長をとても重視します。

この人間的な成長を起こすには、 クライエントがカウンセリングにおいて主体的に意思決定や選択、そして自己洞察を行うことが極めて重要になります。

主体的にというのはクライエントが自らの意思で問題に取り組むということです。

ここではカウンセラーが指導的に(主導的に)動くのではなく、クライエントが能動的に(主体的に)取り組むからこそ、その過程で得る気づきや学びはクライエントの真の成長につながるのです。

これは教育においても同じことが言えます。

教育においても教師や指導者が主体的に動くのではなく、 あくまでも学習者自身が主体的に学習に取り組むことによって、 学習者は真の学びを得ることができます。

教師や指導者が学習のテーマをあてがうのではなく、 学習者自身の中から発生した問いに対してその答えを追求する。

これこそが学習であると私は思っています。

そしてカウンセリングもクライエントの学びの場でもあります。

クライエントが学習者であるならば、カウンセラーはそれを促進する役割を持った人間です。

クライエントが自らの問いを、この場合は自ら悩んだり問題視したものに対して、その答えを主体的に追求していく。

だからこそその過程で得られた気づきや学びはクライアント地震の中で生きた道しるべになるのです。

カウンセラーはこうしたクライエントの学習経験を十分なものにするために、あえて非指示的な態度を示し、保ち、実践するものなのです。

非指示的カウンセリングの意味と効果

非指示的なカウンセリングの意味と効果はどこにあるのでしょうか。

非指示的な態度のところでも先述しましたが、カウンセリングではクライエントが主体的に取り組むことが重要です。

カウンセラーが主導的に動いて、クライエントがそれに従ったところで、クライエントの中に真の学びは生まれないし、自律的に生きていく術を獲得することもできません。

例えば、過去の辛い体験についてクライエントが話すということを考えてみましょう。

そうした話も、 クライエント自らの意思と選択によって話されたものと、カウンセラーの誘導や質問によって話されたのとでは、 その重みと意味がまるで違ってきます。

過去の辛い体験を話すのも、 クライエント自らの意思と選択によるからこそ、そこから気づきや学びが生まれると言えるのです。

そして最終的にはクライアントが人生で遭遇する様々な問題や困難に自ら 向き合い乗り越えていくことが理想です。

つまり最終的にはカウンセリングもカウンセラーも必要となくなるということがカウンセリングの目的の一つとも言えるのです。

そう考えた時にカウンセリングの中でクライエントが自分で考え、自分で洞察を起こし、自分で選び、 自分で決める。

そして自ら行動しその結果を自ら振り返りながら人生を歩んでいく。

そんな流れが望まれることを考えると、 カウンセリングにおけるカウンセラーのあり方は非指示的であることが基本であると言えるでしょう。

カウンセリングで気をつけなければならないことは、 カウンセラーがクライエントと依存関係にならないことです。

人間というものは、辛く苦しく心に余裕のない時、 ついつい誰かに甘え、依存したくなってくるもので。

しかし残念ながら依存の先に立ち直りや自律的な生き方はありません。

だからカウンセリングではカウンセラーとクライエントの間に依存的な関係が起きないように十分に注意することが必要です。

あくまでもクライエントが自律的に生きていけるような関わり方が求められます。

非指示的なカウンセリングというのはそうした意味と効果があるわけで。 

非指示的カウンセリングの技法

非指示的なカウンセリングをしようと言われても、 じゃあ実際どのようにすれば良いのか。

具体的にどうすれば良いのかという話になるでしょう。

非指示的なカウンセリングの技法としては、やはり傾聴と共感的理解ということになります。

傾聴というのは相手の話を正確に聞くことであり、聞けることでもあります。

つまり、傾聴できているというのは相手の話を正確に聞けているということとイコールになります。

共感的理解というの、クライエントの気持ち、 経験、感情、感覚などを共に分かち合うことを指します。

クライアントが伝えたいことを伝えたい通りに理解することでもあります。

これらを具体的にチェックするに、 会話のやり取りを録音し、 さらにはそれを文章(逐語記録)に起こし、その音声の記録と文字の記録と付き合わせて検討していきます。

徹底的にここは具体的、現実的な検討が必要です。

非指示的というのは繰り返しになりますが、助言、提案、説得、分析、評価をしたり、考えさせようとか気づかせようと言った働きかけをしないことです。

そして、意思と選択を尊重しつつ一緒に問題解決に向けて対話を織りなしていくことです。

技法の基本はクライエントが話したいことを話したいように話したいだけ話してもらう。

その話に沿ってカウンセラーが様々な対応を見せて行くというものです。

クライエントの話をひたすら聞き、 クライアントが伝えたいことを正確に認識し、クライエントがわかってほしい通りの理解を持つ。

そして、 その理解を通して、カウンセラーは自分がクライエントの話をどう聞き、どう理解したかを自分の言葉で投げ返します。

ここは何度も言いますが、相手のことを単純に繰り返すだの、 オウム返しをするんだろうという乱暴な対応ではありません。

カウンセラーなりにクライアントの話をしっかりと聞き、深く理解を得て、その理解をもとにカウンセラー自身がより的確だと思う言葉や表現に置き換えて行きます。

そのカウンセラーの言葉をクライアントが受け取り、 その言葉に満足をすれば、クライエントはさらに話を深めていこうとするでしょうし、 深めてもいけるでしょう。

こうした流れが結果として深い自己洞察に繋がり、 問題の本質にたどり着き、問題解決とクライアントの精神的な立ち直りにもつながります。

では、 具体的にどんな流れになるのかを、実際のやり取りで見ていきましょう。

非指示的カウンセリングの具体的事例

これはある女性Mさん(40歳)とのカウンセリングのやり取りの一部です。(掲載許可をもらったものです)

Mさんは、幼い頃父親が家で怒鳴ったり感情的になることが多く、自分も褒められたことがなく、否定されることが多かったと言います。

そのために自分に自信がもてず、職場の人間関係も消極的になるというのが悩みどころでした。

以下に、カウンセリングの一場面をそのまま紹介します。

~Kさんとのカウンセリング~(カウンセラー鈴木)

Kさん:父が怒鳴ると、もう家族はどうすることもできず、ただそれを聞くしかなかったんです。

鈴木:嵐のおさまるのを待つしかなかった。

Kさん:そうでした。ほんとに嵐のようだった。終わると父は後でケロッとしてるんです。お酒が入っていたこともあるけど、こっちは釈然としないというか・・・

鈴木:言われた方は、そうすぐ気持ちを切り替えられない。

Kさん:切り替えられないです。

鈴木:何かいろいろ残ってしまうというか・・・

Kさん:そうですね。残ります。それは言われたことがというより、自分はダメなんだなという思いとか。こんな風に言われる自分はダメなんだなとか、自分の気持ちは出したらダメなんだなとか。だって、自分の考えとか言うとすぐに否定されたし、だから自分の考えにも自信が持てなくなったのかもしれません。

鈴木:自分の考えは表明してはいけないって思うしかなかった。

Kさん:思ってました。ずっと押さえてきたと思います。そのクセが今もあるというか、職場でも自分の考えとか出せないのも、そういうところが影響しているのかもしれないです。

鈴木:お父さんに対して自分を出せなかったから、今もその影響があるということ?

Kさん:あると思います・・・・・ありますね、似ている、感覚が・・

鈴木:感覚があの時と似ている。

Kさん:・・・似ています。自分の考えを言ったら、そう思われるだろうかとか、また否定されるんじゃないかとか、やっぱり思ってます。

鈴木:やっぱり人からどう思われるかという警戒心は働いている。

Kさん:働いてますね。

~以上 やり取りはこの後も続きます~

非指示的なのにクライエントの洞察が深まる

カウンセラーは一切の指示的な態度や言動を取っていないにも関わらず、Kさんの自己洞察が進んでいくのがわかると思います。

カウンセラーはただ、Kさんの言いたいことをカウンセラーがどう理解したかを言葉にしているだけです。

そして重要なのは、Kさんはカウンセラーに引っ張られてではなく、あくまでも自分の意志で話をしているということ。

Kさんが話したいことを話したいように話したいだけ話そうとしていて、それをカウンセラーが全面的に受け容れ、尊重していることです。

こうした非指示的態度と対応を基本に据えることでも、これだけのやり取りが可能になるという例でした。

ある教師と引きこもり援助者とロジャーズとの共通点

最近、NHKのドキュメント番組で、教育者と心理援助者を続けて取り上げていました。

一人は、生徒が自主的に問題に取り組んでいく授業を展開する教師。

もう一人は引きこもりの支援を個人で行っている援助者でした。

番組を観ていて、この二人にはある共通点があるなと感じました。

それは、二人ともロジャーズの教育観、臨床観に基づいているということです。

おそらく、二人ともロジャーズの理論や実践を学んだわけではないでしょう。

たまたま、それぞれに行きついた形がロジャーズと同じだったということだと思います。

しかし、それぞれに注目すべき点がありました。

教師は数学を教えていて、進学校、補習塾、そして養護施設で授業を行っています。

教えるということをあまりせず、生徒が自ら考え、話し合って答えを導き出すという授業です。

そしてこの教師は「先生の役割は教えることではない」と断言していました。

これはロジャーズも同様のことを言っていました。

ロジャーズは教師の役割を「学習促進者である」と説いたのです。

生徒が学習したいことが充分に学習できるようにサポートするのが役割だというのです。

そのために、教師は生徒の内面を常に理解している必要があるとも、説いていました。

また、引きこもりの支援者は、やはり援助される側の自主性を尊重していました。

決めるのは彼らであって、私が引っ張っていくのではないとも。

こちらもクライエントの主体性を尊重するロジャーズの臨床観と一致します。

また、この援助者は親と接触してから引きこもりの当事者と会えるまで、何年もかけて自宅に通い続けるようです。

部屋の扉越しに声をかけるのですが、決して無理はしません。

つまり、当事者が成長するのを気の遠くなるような時間をかけてサポートしていることになります。

ある意味、引きこもりの援助は、これしかないかもしれません。

ロジャーズがカウンセリングで重視したのは「経験」

その教育者、援助者に共通しているのは、答えやゴールにこだわっていない。

生徒やクライエントの「成長」にフォーカスしているところです。

ここも、ロジャーズの教育観、臨床観に通じます。

クライエントが成長することで、当人は様々な問題を解決し、困難を乗り越える。

カウンセリングがそのための経験の場の一つ。

そのため、カウンセリングと教育というのは密接に関連している要素が多いのです。

そうなると、結果ではなく過程を重視することになります。

教育にしても心理援助にしても、互いの関係性がどうなっているかという話になります。

そして、その関係性を決めるのは教師や援助者の言葉と態度です。

結果よりプロセス重視こそロジャーズのカウンセリング

ドキュメントされていた教師は、教室にいる生徒に投げかける言葉を慎重に選んでいました。

扉の向こうにいる無言の相手に対しても、援助者は発する言葉を一つ一つ厳密に選んでいました。

これらはまさにカウンセリング面接の場面そのものです。

ロジャーズのカウンセリングは関係性を築くために言葉の一つ一つを精査します。

投げかける言葉一つで、関係性が一変することもあるからです。

そして、どんな言葉を投げかけるかはクライエントが見えていなければ判断がつきません。

この場合の見えているというのは、視覚的なことだけを言っているわけではありません。

引きこもりの、扉の向こうにいる無言の相手に対しても同じことが言えます。

相手の内面がどれだけ把握できるかということです。

そしてカウンセラーがクライエントの内面をどれだけ把握出来ているかは、そのカウンセラーが発する言葉でわかります。

クライエントにしてみれば、カウンセラーが発する言葉によって、自分のことをどれだけ理解しているかがわかります。

そして、理解されればされるほど、クライエントは心が動いていくのです。

心が動けば新たな行動につながり、新しい経験につながります。

そうやって視野が広がり、捉え方の引き出しも増え、人間的な成長につながるから、クライエントは立ち直っていくことになります。

このプロセスについては、これまでメルマガで何度も触れてきたので、詳しくは割愛します。

結果より過程(プロセス)に集中する。

ロジャーズのカウンセリングの要点は、ここに極まっているといってもいいでしょう。

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