傾聴できる人、できない人、その違いとは


傾聴技法について大切な事の一つは、それが実際に現場で通用するかどうかです。
オウム返しや言葉を拾って繰り返すというのは、傾聴技法ではありません。
うなづき、くりかえしというのは、聞く態度の一つに過ぎず、傾聴技法そのものではありません。
誤った教えに悩むことなく、傾聴技法についての真実を知ってください。
傾聴技法の真実について、以下にわかりやすく解説しました。

【筆者プロフィール】
心理カウンセラーとして6000件以上(2020年4月現在)のカウンセリングを実施。
5年間にわたりスクールカウンセラーとして教育現場の問題解決にあたり、現在も個別に教育相談を受ける。
大手一部上場企業を始めとした社員研修の講師として10年以上登壇し、臨床カウンセラー養成塾を10年以上運営。コーチとしても様々な目標達成に携わる。
著書「感情は5秒で整えられる(プレジデント社)」は台湾でも出版された。
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オウム返しが有効な場面とは?

傾聴やカウンセリングの技法ということになると、すぐに「オウム返し」とか、相手の言葉を拾って繰り返すことが共感だなどと教えられないでしょうか?
これは全く誤った教えであり、実際の現場では全く通用しないやり方です。
・・・というか、実際にやってみればわかります。
ですが、傾聴の中で「オウム返し」「繰り返し」が有効な場面も実はあります。
先ずはそこから考察を進めていきましょう。
早速ですが、具体的な例で見ていきましょう。
クライエントのAさんが、こうつぶやいたとします。
「私、努力っていう言葉が好きじゃなかったんですよ」
さあ、この一言にあなたはどういう言葉で応じますか?超初心者問題ですね(^^)
でも、実際こうした表現を面接で聴くと、カウンセラーは途端におかしな応答をしだすのです。例えば
「努力が好きではないんですね」
どうでしょう?
不適切な応答だということはわかりますよね?
それでも、いざ、面接となると、こうなってしまうんです。
傾聴でも全く例外じゃないんですが、知っていることと実際にできることとは違うんですね。
傾聴で必要なのは、ズバリ、正確に聞くことですね。
この正確に聞くことが大事であることに、異論を唱える人はいあまりいないと思うんです。
ところが、実際に正確に聞こうとしても、聞けなくなる。こういうケースがたくさんあるわけなんですね。
ちなみに、先ほどの応答。
「努力が好きではないんですね」ですが、クライエントは努力が好きではないとは、言っていないんです。
わかりますよね?
努力という「言葉」が好きではないと言っています。
しかも「好きじゃなかった」と過去形なんです。
努力が好きじゃないのと、努力という言葉が好きなじゃいということ。
これはそこに込められたニュアンスによってはその意味合いも全然違ってくるんです。
努力という言葉が好きじゃないということは、努力を馬鹿にして、あまりしてこなかったということか。
それとも、努力はそれなりにしてきたが、どうしても努力という言葉のニュアンスが好きになれなかったとうことか。
はたまた、努力はしようとしたが、思うように努力できず、努力という言葉も好きではなかったと言いたいのか。
あるいは、そこまでの重さのある言葉ではなく、単に努力という言葉が好きじゃなかったという話か。
いろいろ想定できるんです。
しかも、過去形ということは、今は努力という言葉の捉え方が違っている可能性もある。
さらに、「好きじゃなかったんです」ではなく、「好きじゃなかったんですよ」と、「よ」で終わっている。
ということは、この先にもっと言いたいことがありそう。
そんな含みを残して終わっている可能性も考えられるんです。
ここは正確に「努力という言葉は、好きではなかった(んですね)」と返すところなんです。
つまり、「私、努力っていう言葉が好きじゃなかったんですよ」という言葉だけでは、こちらは「ああ!なるほど」ってならない。
いろいろなことが想定されるから、もっと具体的に知りたいし、この先、何を伝えようとしているのかも知りたい。
そうなれば、相手の表現をオウム返しして、その言葉についてもっと具体を語ってもらう。
そういう対応が一番適切なんです。
これは、オウム返しの有効な場面の一つでもあります。

カウンセリングの技法としての傾聴

傾聴する、正確に聞く。
問題は超初心者編でしたので、易しかったかもしれません。
でも、傾聴(正確に聞く)は、すごく重要。
ここで正確さを欠くと、ここから先、全部狂ってくるからです。
でも、ここを正確に一つ一つおさえていければ、面接は深まっていくということです。
こうしたカウンセラーの”動き方”を厳密にチェックするには、やはり面接などの実際の録音をチェックしていくことです。
できれば、逐語記録が同時にあれば、なおベターです。
つまり、カウンセリングの技術の向上のためには、”記憶”ではなく”記録”で振り返ることです。
でも、多くのカウンセラーがこの研修を嫌います。それは、自分の面接の不十分さを露呈するからです。
でも、これを嫌がっていては、技術の向上はあり得ません。
私の師匠は、この点について、こう言っていました。
「録音を嫌がるのは、カウンセラーの防衛である」
私もまったく同感です。
ご自分の中に、この種の防衛はありますか?
それとも、果敢に研修に臨んでみますか?
クライエントの力に少しでもなりたい。
そう思うのであれば、確かな研修を受けていくことをおススメします。
その先には確かな対応ができる臨床家になっている自分がいることになるでしょう。

コミュニケーション技法としての傾聴

日常会話での聞く力とカウンセリングでの聞く力。
この両者の違い、あなたはいったいなんだと思いますか?
先ずはじめにお伝えしておきたいことがあります。
それは、日常会話とカウンセリングというのはそもそも基本的には同じことをやっているということです。
同じことというのは、次のことが同じだということです。

●相手の話を聞き、話の内容を理解し、応える。
●こちらの伝えたいことを伝わるように伝える。
この2つは日常会話でもカウンセリングでも同じです。

つまり、一般の方もカウンセラーも、やろうとしていることとやっていることは同じなんです。
この部分では日常会話もカウンセリングも同じだといえます。
では、日常会話とカウンセリングの違いとは、どこにあるのでしょう?
それは、「聞く」「理解する」「応える」「伝える」の一つ一つのクオリティーが違うということなんです。
どう違うのか?今からご説明します。

・聞く⇒その正確さが違う

正確に聞いているというところで、100点満点で何点がつけられるか?ここにプロの違いが現れなければなりません。

・理解する⇒その的確さ・深さが違う

言葉を通しての理解ですが、言葉だけでなく、その意味するところ、意図、背景、付随する感情まで察します。

・応える⇒その適切さや配慮が違う

選択する言葉や表現の違い、相手に受け容れられる度合いの違いですね。

・伝える⇒心に響く度合いが違う

相手の心を揺り動かす伝え方にプロならではの力が必要です。
つまりカウンセリングの学習をするとは、「正確さ」「的確さ」「深さ」「適切さ」「配慮」「感動」といった要素を磨くということです。
そのためには、広くて深い「人間理解」が必要になりますし、自分自身の「人間性」も高めることも必要になります。
日常会話では、ある程度このあたりの精度が鈍くても、会話としては成り立ってしまう部分があります。
井戸端会議、立ち話、気軽な雑談では、ここまでシビアに考えなくても楽しめる場合が多いでしょう。
ただ、「ここぞ」という場面では、たとえ日常会話であってそれ相応のクオリティーが必要になってくるものです。
相手に何か重大な告白をされたときや仕事など大事なことに関してのやりりなどですね。
また、日常生活の中であなたも、誰かから「相談」を受けた経験があると思います。
相談を受けたときにも、同様にそれ相応のクオリティーがどうしても求められると思います。
こうした場面でしっかりとした対応したいという人がいろいろな学習の中でカウンセリング学習を選ぶ。
これはある意味「道理である」といえるのではないでしょうか。
最後に結論としていえること。
カウンセリングでいう「聞く力」とは何かと考えると、こういうことになるのではないかと思います。

●相手の話をいかに「正確に」聞けるか
●相手の話をいかに「的確に」「深く」理解できるか
●相手にいかに「心に響く投げかけや投げ返し」ができるか

カウンセラーとして「心ある対応」とはなにか。
援助的な対応とはどんな対応をいうのか。
こうしたことを私たちは真剣に考えていくしかないようです。

カール・R・ロジャーズの傾聴技法とは

あるカウンセリングの協会に所属されている数人の方からカウンセリングの実習の様子を伺う機会がありました。
その協会はロジャーズのカウンセリングに根差した指導を続けているということのようです。
そこでは、次のような指導を受けるということです。
「相手の言った言葉(特に感情表現)は、繰り返すこと」
例えばロールプレイを行った際に、話し手の話の中で、キーワードと考えられる言葉が出てきたら、聞き手は、すかさずその言葉を繰り返すということらしいです。

私はそれを聞いた時、正直驚きました。
それがカウンセリングの応答だなどと勘違いされたら、しかもそんな方法を実際の面接でやられたら・・・・・
そこで、養成塾では、次のようにお伝えしています。

「共感的理解は、相手の言葉と違う言葉に変えて応じることで伝わる」

上記はあくまでも”基本形”ということでご理解ください。
相手の言葉を機械的にオウム返しのように繰り返すのではなく、こちらの言葉、こちらなりの理解が伝わる言葉に変えて応答する。
その応答が話し手(クライエント)に受け容れられた時、そこで初めて「共感的理解」が成立していくといっていいでしょう。

「●●のことを日常的に意識してしまうんです」

というクライエントの訴えがあるとして、それに対してカウンセラーに

「●●のことを日常的に意識してしまうんですね」

とやられたら、クライエントはどんな気持ちがするでしょう?

おそらく「本当にわかってくれてるのだろうか?」とか、「なんか上辺だけ、言葉だけで、空しい」といった印象を抱くのではないでしょうか?

「●●のことを日常的に意識してしまうんです」

というこの訴えに対して、カウンセラーが

「●●のことがいつも(ずっとorどうしても)気になってしまう(んですね)」

と応じる方が、より「血の通った対話」になるというものです。

「お父さんの期待に応えようとしたけど、それがすごく辛くて・・・」

という訴えに、オウム返しではなく

「あなたにとっては、とても荷が重かったわけですね」

という言葉で応じる。

「先日の失敗で、周囲から責められている気がして、職場にいるのが辛くて・・」

という訴えに、

「なにかこう、居たたまれない気持ちになったのですね」

という言葉で応じる。
その結果、こうした応答がクライエントに受け容れられたら、つまり、クライエントの経験的な感覚にピッタリとくる言葉で合ったら、クライエントは「その通りです」という反応を示してくれます。
また、言葉を変えて応じられることで、話し手(クライエント)にしても、一生懸命理解しようとされていると感じられるんです。

もちろん、どんな言葉をここで選択していくかは大事です。
その選び方に、カウンセラーの実力が問われるのは当然のことです。
しかし、ただ機械的に同じ言葉を繰り返すといった対応のみを続ける。
そこから何か自己洞察が深まったり、問題の核心に迫ったりといったいわゆる「生きた面接の流れ」が生まれるかどうかは、甚だ疑問です。

考えてもみてください。
そもそも、日常会話の中で、相手の言葉をオウム返しし続けるというような、そんな対応をあなたはしていますか?
おそらくそんな対応をしてしまったら、相手は「バカにしてる?」とすら思うかもしれません。
日常会話では絶対にしないであろう対応がどうしてカウンセリングの実習では、まことしやかになされるのか?

ロジャーズの逐語書籍がありますので、確認してみてください。
ロジャーズは「オウム返し」などやっていません。
ロジャーズがやってもいないし、推奨もしていないことなのに、今の日本では「それがカウンセリングだ」「それが傾聴だ」となってしまっているのです。
カウンセリングの実技訓練では、まずは日常的な「常識」をしっかりと働かせるところから始めることが必要なようです。 

傾聴技法のウソ、ホント

傾聴とはただ漫然と聞くことではありません。
漫然とあいづちを打ち続けて聞くことでもありません。
まして、相手の言葉をオウム返ししてお茶を濁すことでもありません。

傾聴とは相手の話を正確に聞くことであり、聞けることです。

そして、正確に聞けているかどうかをチェックしたり、傾聴のトレーニングに際しては、やり取りを録音し、文章に起こし、綿密に検討することが必要です。
「”ひたすら聞く”を貫くこと」
これはある時、我が師が強調した言葉です。
聞くということの難しさは、一般的には理解されていません。
それどころか、ほとんどの人たちは自分が「聞けている」と思っています。
養成塾で「聞くための訓練」を実施してみて、参加者のほとんどが「聞けていない」実態が浮き彫りになります。
しかし、世の多くの人たちが、自分は聞けていると思っているわけです。
このギャップが人間関係などで様々な問題を起こしている。
私はそう言ってもいいのではないかと思っています。

師匠のケース検討会で、10年ほどの経験を積んだカウンセラーが自分の面接を検討に提出しました。
その面接では、カウンセラーがクライエントに「私はあなたのここが問題だと思う」という働きかけをしていました。
結果は失敗に終わり、クライエントの信頼を失いました。
カウンセラーが「私はこう思う」と働きかけたのに対し、「そんなこと言われたら私はどうすればいいんですか?」という反応でした。
それを聞いて私の師匠はこう言いました。
「私もこういう動き方はするが、こっちは44年臨床をやっている。10年位の経験で真似されたら困りますね。」
つまり、師匠が「私はこう思う」とやると、それはクライエントに受け入れられ、面接は進展するのです。
こういう働きかけは一度でも失敗したら、それで終わります。
クライエントは二度とカウンセリングには来なくなります。
師匠が言いたかったのは、余程の経験と力をもっていなければ、こうした働きかけはすべきではないということでした。

そして師匠は次の瞬間こう言ったのです。

「私は最初の25年間、(面接では)ただひたすら聞いていた。それ以外の働きかけは、25年の経験を経てからやり始めたんだ」

そのケース検討会に参加したカウンセラーは全員「最初の25年間」というフレーズに、返す言葉がありませんでした。
ひたすら聞くとは、いったい何を聞くのか?それはいろいろあると思います。
クライエントの声にならない声を聞く。
沈黙の奥にある声を聞く。
言葉には出てこないクライエントの胸の内を聞く。
聞くということを貫き続けることで、やがてそうした「声なき声」が聞けるようになるわけです。
・・・といっても、この説明を呼んだだけでは抽象的でわからないのです。
だからこそ、何度もお伝えしているように、自分のやり取りを記録に残し、その記録を繰り返しチェックしていくところからがスタートです。

もちろん、そうした検討・分析が適切に指導できる指導者の下で行うことが原則です。
検討能力のないうちは、いくら無いもの同士で検討しても、行き詰るだけです。
私自身も、まだ「ひたすら聞く」の域を出ていません。
なぜならば、聞こうとすればするほど、聞くということの難しさに直面し続けるからです。
ただ、いえることは、今の自分に出来ることはとにかくひたすら聞くことに専心するのみだということ。
聞くということの中にある様々な発見、気づきを聞き逃さないこと。
そこに自分のエネルギーを集中していくしかないということです。
 

傾聴技法のコツ

傾聴技法のコツというものはあるのか?
そのテーマを考える上で、カウンセリングは技術か?という問いが有効です。
カウンセリングというものを学習し始めると、人の心に関わる際に技術・テクニックが大事なのだろうかという問いや疑問にぶつかる時がきます。
確かに技術的な要素は必要になります。
クライエントが伝えてくるものに対し、適切な対応をするには、技術的な力が必要です。
特にこちらがどんな言葉や表現を選択するかは、セラピストの技量が問われるところです。
しかし、最終的にセラピーというものは、技術よりもセラピストの人間性がはるかに大きく作用します。

技術そのものも、人間性を土台とします。

心と心の接触をもつ場面では、どうしても人間性が与える影響は大きいものです。
ということは、セラピストは自分の感受性や人間性を普段からよく熟知しておく必要があります。
カウンセリングの面接の録音と逐語記録を検討していくと、セラピストの人間性や生き方が顔を覗かせているのがわかります。
普段の人への接し方や、その人の人間観が、面接では否応なく現れます。
日常生活でやっていることは、面接でもやってしまうのです。また、日常生活で出来ないことを、面接でやれるはずもないのです。

養成塾の「臨床基礎力養成コース」では、「教育分析」というカリキュラムを採用しています。
「教育分析」とは、セラピストがカウンセリングを受けること。指導者のカウンセリングを受け、自己チェックを行います。
カウンセリングや臨床は「いざ」の連続です。
いざという時ほど、その人間の”地”といえるものが出ます。
カウンセリングの学習や訓練の目的は、この「いざ」という場面での対応力を磨くことだといえます。
咄嗟のとき、自分はどういう反応をしてしまうのか?
しっかりとしたカウンセリング(面接)を行うためには咄嗟の反応から自己理解を深めていく必要があります。
日頃から丁寧に人に接している人は、その姿勢がカウンセリングでも現れます。
人によって態度を変える人は、カウンセリングではクライエントによってやはり態度が変わってしまうものです。
本人は隠しているつもりでも、その一言一言や表情、一瞬の態度に出てしまいます。
そうした要素は確実にクライエントに伝わります。

セラピストが確かなセラピーを行うためには、セラピストの人間的な成長が必要不可欠になります。
そのためには、日ごろの生き方を見つめ直すこと。そうすることで、より良いセラピーを提供できるようになります。
逆にいえば、自分がどんなセラピー(面接)をしているか。
そこをチェックしていけば、自分の人間性やスキルの程度が理解できます。
つまり、カウンセリングを学ぶということは、自己を知ることだといえます。
力のある臨床家は、「教育分析」をみっちりと受けています。

また自分の実際の面接記録をもとに、スーパーバイザーに的確な指導を仰いでいます。
ある意味、自分を(自分の仕事を)さらしていける人、そして、素直にフィードバックを生かせる人。
こういう人が臨床の力を積み上げていける人です。
傾聴技法にコツがあるとすれば、こうした地道な取り組みをひたすら続けることでしょうか。
それが、遠回りのようで最短の道、確かな道といえます。
「急がば回れ」は、傾聴習得にも通じる言葉のようですね。

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心理カウンセラー・臨床カウンセラー養成塾 塾長 鈴木雅幸(コーチ・企業研修講師)のプロフィール

台湾でも出版された「感情は5秒で整えられる(プレジデント社)」の著者で、心理カウンセラーとして6000件以上(2020年4月現在)のカウンセリングを実施。
5年間にわたりスクールカウンセラーとして教育現場の問題解決にあたり、現在も個別に教育相談を受ける。
大手一部上場企業を始めとした社員研修の講師として10年以上登壇し、臨床カウンセラー養成塾を10年以上運営。
コーチとしても様々な目標達成に携わる。
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