共感的理解が出来た時の感覚について

共感的理解が大事と言われても、どうすれば共感できたといえるのかわからない人が多いようです。

それはそうです、共感は「実感」を伴うものなので、その実感が得られなければ共感できたとはいえないからです。

共感できたかどうか、そこはウソやごまかし、できたつもりなどは一切通用しない世界。

本当に共感できた時の反応こそ、共感的理解のカギとなるということを以下に解説します。

【質問&回答】これは共感?それとも・・・・

突然ですが、次の二つの違いってわかりますか?

「辛いよね」

「辛いのね」

この両者の違いは、もちろんわかりますよね。

前者は「辛いよね」後者は「辛いのね」です。

つまり「よ」と「の」という違いがあります。

これは見ればわかる、一目瞭然です。

問題はここからです。

この両者、どちらが共感(的理解)だといえますか?

「え?どちらも共感じゃないの?」「この二つって違うの?」と思われた方。

厳しいことを言いますが、残念ながらカウンセリングでの共感が何か、わかっていない可能性があります。

共感的理解がわかっているカウンセラーは、この両者の違いを自覚し、意識的に使いわけます。

決して混同して使ったりすることはなく、場面や流れによって分けています。

では、この両者、どちらが共感(的理解)だといえるでしょうか。

共感は、実はこちらの方なんです。

「辛いのね」

だから「辛いよね」は共感ではありません。

共感と同感・同調の違いとは?

この両者の違いは「よ」と「の」のところにありますが、もう一つ両者が決定的に違うところがあります。

どういう違いか、おわかりでしょうか?

「辛いよね」は、実は共感ではなく「同感」「同調」にあたります。

この「辛いよね」は、「私もそう思う」という要素が入っていて、主語は「わたし」つまりカウンセラーです。

では、共感といえる「辛いのね」はどうでしょう?

この「辛いのね」は「あなたは辛いのね」「あなたにしてみたら辛いのね」です。

つまり、主語が「あなた」つまりクライエントです。

「辛いのね」と応じることで「あなたが辛いと私は理解した」と伝わります。

ですから「辛い」と感じているのはクライエントになるのです。

共感的理解の応答は、基本的にクライエントが主語になります。

なぜなら、カウンセラーの応答の基本原則は確認応答だから。

共感的理解の応答は確認応答が原則だった

「あなた(クライエント)の言いたいことは、こういう事ですね」

「あなた(クライエント)の話を私(カウンセラー)は、こう理解しましたが、合っていますか」

このようにクライエントの話をカウンセラーがどう受け取り、どう理解したかを伝えるのが応答です。

もちろん、応答には他にも種類はありますが、基本は確認です。

そして、この確認内容(応答)が合っていたら、クライエントは必ず「合ってますよ」という反応を見せます。

クライエントのこの反応まで確認して、カウンセラーは共感的理解が成立したということも確認できます。

この確認をもって初めて双方は次の話に移れるわけです。

ですから「辛いのね」が共感的理解の応じ方の基本であり「辛いよね」は同意・同調となります。

もちろん、場面によってはこの「同意」「同調」の方が有効な時もあります。

だからこそ、この両者の違いをしっかりと理解し、使い分ける必要が出てきます。

確認応答技法の事例

共感と同意・同調の例を出します。

不登校になった小4女子が、カウンセリングで以下のように話しました。

「ある時から、クラスの子、いっぱいの子から、嫌なことを言われたり、無視されるようになって・・・・・・・
大勢だから言い返せない・・・」

それに対し、カウンセラーはこう応じます。

「一人や二人ではなく大勢で(クライエントうなずく)、そう・・・大勢だからすごい、それは圧力になるのね(うなずく)・・・・・
大勢からそんな風にされたら、すごく嫌だよね(うなづきながら泣き出す)」

最初の「圧力になるのね」は共感、その後「嫌だよね」は同意、同調です。

この応答のカギは、確認応答によって共感したあと、その後に同感、同調を行っているところです。

こうした流れでは共感に加え、同意、同調することで、クライエントは、いくばくかではありますが「救われる思い」になります。

共感と同意・同調の違い。

ぜひ、覚えておくと良いと思います。

なぜなら、こうしたことを身につけることで、寄り添うことがより可能になるからです。

「共感できない」母親の苦悩、共感的理解で大切な事

先日、あるカウンセリングで、こんな話が出ました。

中学生の息子さんが不登校になられたお母さんが、「共感」について、こう言いました。

よく「共感しましょう」って本に書いてあったり、勉強会なんかでも言われます。

でも、それがなかなか出来ないんです。

なぜって、息子と会話がなかなか無いから・・・・

学校の話しも一切しないし、会話があっても学校とは全然関係無い話ですし・・・

このお母さんは「共感しなきゃ」と思うあまりに、とても焦っていたというのです。

そもそも、会話が十分できないのだから、共感したくても難しいと・・・

この話には、いろいろな問題提起を感じます。

別な言い方をすると、ヒントが隠れているんです。

共感というのは「実感」が必要なんです。

共感できたという実感ですね。

あるいは「わかった」「そうだったのか」という反応です。

この実感や反応があるからこそ、それが相手(息子さん)にも伝わる。

だから、お互いの関係性が変わっていくんですね。

実感のないまま、共感できるよって態度を取る。

それは「共感」ではないんです。

共感できた振りをするっていいます。

わかっていないのに、わかったような態度を取る。

それって、相手からするとすごく虚しいし、場合によっては苛立つことなんです。

だから、実感もないまま、実感があったかのようにふるまうと、特に思春期の子どもは、猛烈に反発するんです。

「わかってもいないくせに、わかったようなことを言うなよ!」

これ、不登校になっているお子さんだじゃなく、思春期の子どもの一般的な反応です。

思春期じゃなくても、デリケートな心理状態にある子は、こういうところ、すごく敏感なんですね。

ある意味「うそ」や「矛盾」に対して、嗅覚がものすごく鋭くなっている。

こちらに「わかった」「そうだったのか」といった実感がない。

だったら、実感ないなあって言っていた方が、まだ正直でウソがない態度ですよね。

信頼関係を築くには、そこに「ウソ」が無いこと。

これがとっても重要になってきます。

これが共感的理解ができた時の感覚

人間、本当に共感できたとき、静かだけど確かな「そうか」って反応が起きるんです。

なるほどっていう実感は、大きくはないけど、そこに「間違いない」って感覚があります。

もう、それ以外にあり得ない、そういうことなんだ。

こういう「確かな感覚」があります。

その「確かな感覚」の解説は、わかりやすいので以下の動画で解説しています。

こういう実感があるから、それは自分の言葉になりやすい。

自分なりに理解を持てたからこそ、その理解を自分の言葉で伝えられる。

これが「共感」です。

だからね、おうむ返しにはならないんです。

おうむ返しになりようがない。

自分の言葉がちゃんと浮かんでくるんです。

先の中学生のお母さんの証言。

実感がないのにある振りなんかできない。

そういう心情の吐露でもある。

共感は人から言われて出来るものではなく、自分が実感するものなんですね。

どうぞ、自分の実感を大事にしてください。

そして、この実感を得るためには、やっぱり相手を徹底的に観察できないとならない。

この観察の一つとして会話上でなされるのが「話を正確に聞く」ということ、つまり傾聴です。

会話がなくても傾聴・共感的理解は可能?不登校への対応

実態のある共感を得るためには、徹底的に観察が要るし、傾聴ってそのために必要なんです。

ということは、会話が成立しない状況であっても、徹底的な観察はできますよね。

先の中学生のお子さんでいえば、日々、家の中でどいう風に過ごしているかです。

昼夜逆転の有無、食欲の有無、顔つきや言動。

昼間や夜に多く過ごす部屋、過ごさない部屋。

どの話にどういう反応を示すか?

学校に関係した話題やワードには、どの程度の抵抗を示すか、示さないか?

朝・昼・夕、そして夜の生活パターンはどうか?

外出する時は、どんな時か?

どの程度外出をするのか、しないのか?

学校の手紙を目にしたとき、どんな反応を見せるか?

先生が家庭訪問する時、どういう様子か?

友達が様子を見に来たときは?

その様子は、友達によって違うのか?

こうしたことは、会話が出来なくても観察可能ですよね。

こうした観察から得られる情報をもとに、どんなアプローチが可能かを判断していきます。

そして、こうした観察から「そうか」「なるほど」ということが見つかった時。

「この子はこういう思いだったんだ」

「そんなことを考えていたんだ」

という実感が得られたとき。

これも一つの「共感(的理解)」になります。

実感もないのに、「辛いね」「苦しいね」っていうそういう言葉を投げかけることじゃないんです。

つまり、実感が得られるまでは、徹底的に観察する(話を聞く)しかないってことです。

こう捉え直せば、不登校で会話もない。

そういう関係の中でも、出来ることはあるってわかってきます。

どんな小さな動きも見逃さないってことがどれほど大事かってこともわかってきます。

共感というのは「わかったという反応」であり、自分なりに得心(とくしん)がいったという「実感」なんですね。

だから相手にもそれが伝わるし、相手も「わかってもらえた」っていう「実感」が持てるんです。

【動画】傾聴からの共感的理解

最後に「傾聴と共感的理解」について、短い動画で解説しています。

共感的理解とは、カウンセラーの内側から起こる「わかった」「なるほど」「そうか」という内的反応なんです。これが実感できるとカウンセリングは変わりますので、こちらもぜひご覧ください。

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心理カウンセラー・臨床カウンセラー養成塾 塾長 鈴木雅幸(コーチ・企業研修講師)のプロフィール

台湾でも出版された「感情は5秒で整えられる(プレジデント社)」の著者で、心理カウンセラーとして6000件以上(2020年4月現在)のカウンセリングを実施。
5年間にわたりスクールカウンセラーとして教育現場の問題解決にあたり、現在も個別に教育相談を受ける。
大手一部上場企業を始めとした社員研修の講師として10年以上登壇し、臨床カウンセラー養成塾を10年以上運営。
コーチとしても様々な目標達成に携わる。
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著書「感情は5秒で整えられる(プレジデント社)」