相槌(あいづち)や頷き(うなずき)にも、力量の大きな差があるんです。
カウンセリングの世界では、そのカウンセラーの相槌(あいづち)や頷き(うなずき)を聞けば、その力量がわかるというほどです。
では、確かな相槌(あいづち)や頷き(うなずき)、そして応答とは?
以下にわかりやすく解説します。
良い相槌(あいづち)、悪い相槌(あいづち)
カウンセリングに限らず、人の話を聞くとき。
ほとんどの人が”あいづち”を打つと思います。
カウンセリングでも、この”あいづち”について、学んだことがあるかもしれません。
しかし、世間一般で言われている”あいづち”ですが、その重要性について理解できている人は少ないと思います。
カウンセリングスクールでは「こまめにあいづちを入れましょう」とか、「はっきり入れましょう」とか・・・
“あいづち”を打たないと、クライエントを不安にさせるとか、しっかりした”あいづち”こそが共感を伝えるとか・・・
つまり、あいづちの「打ち方」について、半ば技巧的な、表面的なアドバイスに終始しています。
しかし”あいづち”は、そんな技巧的な、表面的なものではなく、カウンセリングの流れを左右する重要な要素なんです。
もっというと”あいづち”の打ち方をみれば、その聞き手の実力の程がわかります。
それほどに、この”あいづち”というものには、奥の深さがあるわけです。
日本にロジャーズが広がったのは、戦後まもなく、昭和25年から30年代のことでした。
当時、心理臨床家で教育者でもあった友田不二男氏が中心になって、ロジャーズの論文が次々と翻訳されていきました。
私がカウンセリングを学んだ吉田哲は、その友田氏の一番弟子でした。
その吉田の”あいづち”は、やはり一流でした。
“あいづち”に一流も二流もあるのか?と思うかもしれません。
しかし「深み」のある、「芯(しん)」のあるあいづちであり、「味のある」あいづちでした。
吉田があいづちを打つ度に、面接の流れが深まり、クライエントの洞察は進みました。
そんな迫力と重みをもったあいづちでした。
私はそういう一流の”あいづち”にふれてきたので、そのカウンセラーの”あいづち”を聞けば、その実力のほどもわかります。
実力というのは、聞く力、理解する力のことを指しています。
養成塾でもロープレや事例検討を行う際には、聞き手やカウンセラーのあいづちをチェックします。
言葉にすると「打つのが早い」「ストロークが少ない」「話しづらくなる」というチェックの仕方になります。
しかし、”あいづち”というのは、その打ち方を指摘して良くするものではありません。
もっと緻密に、もっと深く考察することでしか、あいづちのクオリティーを上げることはできません。
更には、あいづち一つにも、実は「根拠」が必要です。
今、このタイミングで、なぜこのような”あいづち”になったのか?
それをきちんと説明できなくてはなりません。
ちなみに私は、自分の打った”あいづち”に関しては、全てその根拠を説明できます。
つまり、自分の打つ”あいづち”は、しっかりした根拠をもっているということです。
こうした”あいづち”が出るようになれば、カウンセリング面接は全体的にとても締まってきます。
では、そんな根拠をもち、面接の流れを適切にする”あいづち”を、一体どうしたら打てるようになるのでしょう?
そもそも”あいづち”の本質というものは、どういうものなのでしょう。
“あいづち”とは、打つものではなく、出てくるもの。
これがヒントになります。
一流のあいづちが出てくるということは、聞く力、理解する力も一流です。
高い共感能力の表れの一つが、この”あいづち”といえます。
つまり、一流の”あいづち”をものにできれば、一流のカウンセリングができるようになります。
“あいづち”というのは、そこまでカウンセリングの根幹に通じたものなのです。
“あいづち”の打ち方によって、なぜ、カウンセラーの実力がわかるのか?
答えは、その”あいづち”の打ち方を聞けば、聞き手の「理解度」がわかるからです。
打つタイミング、声のトーンなどです。
その高さや低さ、強さや弱さ、速いかゆっくりか。
また”あいづち”には様々な種類がありますね。
「はい」「うん」「うーん」「ええ」「ほお」「なるほど」「はいはい」「ああ」
どの種類のあいづちになっているかも重要です。
では、こうした豊富な”あいづち”の中で、なぜ「これは適切」「これは不適切」と判断できるのか?
その答えは、そもそも”あいづち”の「本質」を知っておくことが前提です。
あいづちとは「そこまでの相手の話が理解できたという反応」だからです。
とても大切なことなので、もう一度書きます。
「あいづちとは、そこまでの相手の話が理解できたという反応」
だから正確にいうと”あいづち”は打つものではなく出てくるもの。
意識して打とうとするのではなく、自然に出てくる反応なのです。
「理解できた」「わかった」「そういうことか」という反応なんですね。
それが”あいづち”の本質なんです。
ですから、聞く力、共感能力が高度に発揮されている場合、その人の”あいづち”も、当然、そうした理解度が反映されたものになるはずです。
だからその”あいづち”にカウンセラーの実力が反映されるわけです。
“あいづち”を聞けば、聞き手の実力がわかるとは、そういうことです。
もちろん、ある程度の聞く力、共感能力を有している人間だから”あいづち”の実力も判別できます。
しかし、一般の方でも、聞き手の”あいづち”が、自然に聞こえたり、なにか違和感を感じたりという経験はあると思います。
これも同じ話で、聞き手が本当に話を理解できて反応しているので、その反応=あいづちが、とても自然に感じるからです。
「この人はこちらの話をわかってくれている」というのは伝わります。
つまり「ちゃんと聞いてもらっている」という実感が得られるわけです。
こう考えると”あいづち”が単体で存在するわけではありませんね。
クライエントが話をし、それをしっかりと聞き、理解をもつ。
その理解から自ずとわきあがってくる反応、それが”あいづち”ということになります。
ですから、聞く力、理解する力を築いていくことで、その感覚が自然なあいづちに出ます。
しっかりとした傾聴・共感能力こそが、自然な”あいづち”を生み、その”あいづち”の一つ一つが生きたカウンセリングにつながっていきます。
相槌(あいづち)や頷き(うなずき)は会話を左右する
私の場合、1回のカウンセリング時間は50分。
50分という時間は、どのクライエントにも同じ。
初めて来た方であっても同じ。
ずっと通ってくださっている方でも同じです。
しかし、面接の内容は全く違います。
クライエントお一人お一人によって、全て違います。
今回は、話がとても長いクライエントのケースについて。
どう対応すべきかを考えましょう。
たまにですが、面接が始まって、冒頭から30分くらい、ずっと話がやまないクライエントの方がいます。
主に年配の女性に多い傾向があります。
40代~50代の女性の方に多いです。
他の年代や男性にもいなくはないですが、少ないです。
基本的には、精神的に鬱積したものがある場合。
あるいは、思考的に整理して話すのが苦手な場合など。
そういう場合などは、話が長くなりがちです。
カウンセラーによっては、長い話を聞くのが苦手な人もいます。
確かに、長い話を正確に聞くには、それなりの聞く力が必要です。
私は基本的に、どんなに長い話でも、その話を遮ることなく、聞き続けることにしています。
そうなると、聞き方としては、応答が挟めません。
出来るのは、「うなずき」と「あいづち」のみ。
結論からいうと、「うなづきとあいづち」のみで、適切な応答を投げ返したのと同じ効果が出るようにします。
そんなことが出来るのか?
実は、出来るんです。
以前にもお伝えしましたが、あいづちは「打つ」ものではありません。
打つというより、「自然と出て来る」もの。
そういうあいづちになることがベターです。
聞いた話に対して、理解が出てくる。
その理解があいづちという反応に反映される。
だからあいづちも自然なものになるというわけです。
実は、そのうなづき方、あいづちの打たれ方。
それがクライエントにどう伝わるか・・が重要になってきます。
カウンセラーが、クライエントの話を、どこまで正確に聞けて、深く理解できているか。
それが、うなづきやあいづちを通して、クライエントには伝わるからです。
正確に聞けて、深く理解ができているということは、カウンセラーの全体的な態度から伝わっていきます。
クライエントからしてみれば、カウンセラーのあいづちの様子で、自分の話がきちんと理解されているかがわかるんです。
つまり、応答がなくても、応答以外で伝わるものがある。
カウンセラーの内面での理解度が、その全体的態度に漂ってくるのです。
だからこそ、応答がなくても、カウンセラーのうなづきやあいづち。
そして、その全体的な態度や雰囲気によって、クライエントの内面までもが変化していくわけです。
「わかってもらえた」「受け止めてもらえている」
そういう実感がクライエントの内面に生まれ、クライエントの力に変わっていくからです。
ということは、カウンセラーはクライエントの伝えたいことを、本当の意味で理解できている必要があります。
理解が不十分だと、不十分さが伝わります。
理解が浅いと、その浅さがリアルに伝わってしまいます。
ここは正直、ごまかしが一切きかないんです。
わかったつもりでいても、わかったつもりだということが伝わります。
わかったと繕っても、繕っていることが伝わります。
ここは、理屈や言葉ではないんですね。
本当に「わかった」という実感。
それも「深い実感」が、どうしても必要になります。
なぜなら、そこがクライエントに伝わってしまうからです。
カウンセラー自身が「深く理解できているという実感」を得るには、やはりトレーニングと経験値が必要です。
それも、そうした感覚を磨くためのトレーニングですね。
そのトレーニングを受けることで、経験値も違ってきます。
以前からお伝えしているように、経験値は単に回数や年月、時間ではありません。
どれだけたくさんやったかよりも、一回一回をどれだけ深く掘り下げられたか。
ここがものを言うわけです。
つまり、1万回ただ面接を行うよりも、たとえ100回でも、一回一回を深く振り返る方が実力がつきます。
深く掘り下げる学習の積み重ねに、勝るものはないでしょう。
カウンセリングでは相槌はとても重要
カウンセリングではあいづち、うなずき、そして応答が面接の流れを左右します。
しかし、そのあいづち、うなずき、応答が「どうしても機械的でぎこちない、不自然になって困っている」と感じている人が実にたくさんいるようです。
しかし、たった一つのことが出来れば、機械的な応答からおさらばし、生きた応答、血の通った応答を出せるようになります。
相手の話を聞いてから、こちらが言葉を返す。
その返し方、言葉が機械的、事務的で不自然な感じになってしまうというのです。
別な表現をすれば「血が通っていない」感じ。
無感情な、無機質な応答になってしまう。
血の通った応答や対応にしていくには一体どうすれば良いのかわからないそうです。
こうした壁にぶつかる学習者や臨床家は実に多くいると推察されます。
いわゆる「生きた応答」ができないと、魂の抜けたカウンセリングになってしまいます。
どうすれば、魂のこもった、血の通った応答にしていけるのでしょうか?
機械的で不自然になる原因はいろいろあります。
ただ、わかりやすくいってしまうと、こういうことです。
それは、相手の話を理解できていないのに、理解したように応答しようとしたり、理解できないままで応答してしまうからです。
わかっていないのに、わかったかのように見せたり、ピンとこないまま、無理に応答しようとする。
これではこちらの応答や態度そのものがとても不自然になってきます。
相手からしたら、違和感しか感じないでしょう。
共感できていないのに、共感したようにすると、表現などがオーバーになるか、逆にトーンダウンした感じになるか・・・・
このいずれかになりがちなのです。
あなたも、そんな経験はないですか?
では、どうすれば解決できるでしょうか?
解決策は、理解できたという手応え、「そうか、なるほど」という実感。
これを持てるようにしていくことです。
「なるほど、そういうことか」という実感があればその実感は自分の言葉になるはずです。
理解できた実感は自分の言葉になるので、その言葉は血の通った、生きた応答になります。
血の通った、生きた応答をするには、共感的理解の実感を内面に起こすことです。
この実感を起こすために「傾聴」に努めるわけです。
傾聴そのものは、相手の話を正確に聞くことです。
しかし、その目的は「共感的理解」の実感を自分の内面に起こすことです。
こちらの実感が存在すれば、それはクライエントに必ず伝わります。
機械的な応答を防ぎ、生きた応答を生むためには、理解できたという実感を生み出すことが大切です。
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